【医師の就職と人事について】医師の勤務先と医局、研修医制度、専門医制度との関係、退局するにあたっての下準備と心構え

目次

大学医局と初期臨床研修制度と専門医制度

医師の勤務先は、どう決まるのか。

時代とともに、少しずつではありますが、医師の働き方にも、変化が現れ始めています。キーワードは、『医局・初期臨床研修医制度・日本専門医機構』です。

一昔前

昔は、医師国家試験に合格した後、医局に直接入局して働くのが「普通」でした。医局からの派遣で民間の関連病院へ出向し、地域医療を支える駒として働くのが「普通」でした。出向先の病院から形式上の辞令は受けるものの、人事権は大学医局が完全に把握していました。

初期臨床研修制度

その後、初期臨床研修制度がはじまり、徐々に研修医たちに”就職や入局に関する自由”という発想が拡がっていきました。結果、大学医局への入局者が減少し、大学医局の影響力は徐々に弱まっていきました。

日本専門医機構

しかしその後、日本専門医機構が設立され、これまで各科・各学会で独自に構成されていた専門医制度の規格が一本化され、”専門医を取るには、こうしないとダメ!”という制度ができあがりました。この資格を満たすためには、大学での研修がほぼ必須というような状況となっています。

大学医局

大多数のサラリーマンの方々にとって、『来年から、ここの勤務になるから、よろしくね』と上司から声がかかるのは、ごく当たり前のことと言えるかもしれません。

以前までは、医師の社会でも、これに何の疑問も抱かれていませんでした。しかし初期臨床研修医制度がはじまり、いわゆるダイレクト入局が無くなり、”最初に外の世界(病院)を知ってしまう研修医”が激増しました。そのため、医局の駒となることに、疑問を抱く若手が増えるようになりました。

医師の世界は非常に狭く、かつピラミッド構造が根強く残る徒弟制度の社会であるため、『自分の意思』を通すには相当な労力と覚悟が必要になります。その上、医局を抜けるとなれば、かなりの精神力と、今後の生活についての確たる展望が必要になります。言うなれば、盃を返すようなものです。

上に挙げたように、以前よりは医局の影響力も弱まっており、自己主張ができる世の中になってきました。しかしまだまだ、特に地方では医局の影響力はつよく、地域の病院も医局人事によって支えられている部分が大きいのが現状です。

日本専門医機構の設立により、専門医未満の専攻医は、専門医を取得するためには、ほぼ医局に属さなければ不可能となりました。初期から医局を完全に離れてフリーランスで一人前に活動する、というのは極めて困難といえます。また博士号(学位)を取りたいのであれば、大学から離れるわけにはいきません(論文博士という方法もあるにはありますが、茨の道です)。

大学医局に属するメリット・デメリット

大学の医局人事で関連病院に出向している場合、人事権は医局が握っているため、『医局の紐付き』ということになり、医局に属しているということになります。(いつ転勤辞令が飛んでくるかわからない)

こう書くと、医局には害悪しかないようなマイナスイメージを抱きがちですが、客観的に感情を排して長所短所を書き出すと、こういった具合になります。

メリット

  • 医局のネットワークを利用できる
  • 医局からのヘルプが受けられ、相互の患者紹介も円滑に行える
  • 高度な技術や最新の知識を得やすい
  • 高難度の症例や稀少な疾患が集まり、見識が拡がる
  • 海外留学や高度な実験が実現できる可能性がある
  • 学位(博士号)取得への道が開かれている

デメリット

  • 医局人事による転勤
  • 雑務や下積みなど、仕事量が多い
  • 勤務条件や給料が市中病院よりも悪い
  • 個人の裁量や判断が通りにくく、組織の駒としての動き方を徹底させられる
  • 一般的疾病(common disease)は、むしろ大学には集まってこない
  • 医局に所属せず専門医を取得するのは極めて困難

医局には医局の存在意義があります。現時点では、それは確実です。

ただし、かつてのような絶対君主として君臨する時代ではなくなってきているようであり、我々医師も自分の判断で自分の道を考える必要が出てきているのかと感じています。

『専門医の取得』が最大の縛りになっていると感じる昨今ですが、自分の専攻科(専門)によっては、市中病院のネットワークで取得できるケースも出てきているようです。

医局を抜ける(=退局する=盃を返す)

法律上は、2週間前に退職を申し出れば良いと定められていますが、実際にはそんなに甘くはいきません。辞め方によっては、今後の自分のキャリアや働き方、人間関係に修復不可能な傷を残す可能性があります。

また、『残された人たちのこと』を考えてしまうと、非常に腰が重くなります。ある程度の年次を積んだ中堅クラス(実働部隊)の医師が退局を考える場合、重くのしかかってくる思考です。

自分が医局を抜けることは、医局からみれば人的リソースの損失となります。残された医師の仕事量が増え、場合によってはできなくなる治療が出てくることがあるかもしれません。

都市部のマンパワーが豊富なところであれば、自分が抜けたところでダメージは大きくないというケースもあるかもしれませんが、地方では中堅クラスが抜けることは死活問題となりえます。

後進を育ててから抜ける、入局者が増えてから抜ける、など考えを巡らせることになりますが、結局のところは自分の心身と生活環境、それから周囲への義理と責任を天秤にかけて、どこかで決断することになります。

退局するにあたって

逡巡ののち、退局を決めたとして。

その後に安定した生活を送り、後々のトラブルを生じないためには、思い付きで行動してしまうのではなく、順を追って対応していく必要があります。

退局後の就職先を確保しておく

FIREを達成した方や、失業保険や蓄えを使ってしばし人生の休養を置きたい、という場合は、この限りではありません。

しかし家族を養う必要があったり、自身のキャリアアップを目指す目的であったり、生活の質を向上させることが目的であるのなら、まずは辞めた後の収入源を確保しておくことが必須です。

現在の勤務先によっては、『副業』は禁止されている場合があるかもしれません(公務員扱いの大学や市立病院など)。しかし、『求職活動』であれば禁止はされておらず、退路を確保しておくことは問題ありません。

医師の場合、ハローワークなどとは異なり、独特の求人ネットワークが存在します。同門医局の影響力が及ぶ病院に、フリーランスで所属することは難しいのが現状ですが、近年では様々な医師専門の転職エージェントも登場してくるようになりました。

個人的なコネクションや伝手、もしくは転職エージェントを利用して、退局後の生活を確立しておきましょう。

上司に退局の意思を伝える

組織としてのトップは、教授です。

ですがいきなりトップの教授に上申するケースは少なく、まずは直属の上司に伝え、その後に教授と面談することになるのが一般的です。

まずは直属の上司(大学であれば医局長、関連病院であれば診療部長)に伝え、その後に教授へ伝えるという順になるでしょう。

慰留と説得を乗り越える

最終的には、人事権を握る組織のトップである教授との面談になります。

慰留と説得の場になることが多いですが、ここで納得して思い留まるか、押し通すかは、人それぞれなのでしょう。

ただし留まったとしても、その事実はしこりとしてのこることが多く、また退局を申し出たこともいつの間にか他の医局員たちに拡がり、居心地が悪くなってしまうという話もよく耳にします。

『退局』という言葉は医局員にとって伝家の宝刀であり、一度抜いたら次は無いとよく言われます。決断のうえで刀を抜いたのであれば、抜き身をそのまま振り下ろすか、鞘に納めるか、教授との面談以前に腹を括っておいた方がよいでしょう、

辞める理由、というのは、必ず聞かれます。

どうせ最後だからと、悪印象を与えてしまうと、それが狭い医師業界で拡がることがあります。特に同門であれば、学会などで全国に繋がりがあるため、居場所を変えたとしてもついて回る可能性があります。

立つ鳥跡を濁さず、を実行した方が無難でしょう。

医局制度も時代とともに変わりつつある

初期臨床研修医制度が始まったころから、『白い巨塔』のような従来の医局制度は変わっていくと言われてきました。

事実、医局の姿は、時代と共に変わりつつあるように感じます。世間では『働き方改革』なるものが公布され、医療業界にも切り込みは入ってきているようです。

医師業界は、良くも悪くも閉鎖的です。

大多数が一般社会に出ず、学生からそのまま医師になるため、社会の仕組みを知らないまま医師を続けます。今の自分の立ち位置や境遇が、社会一般からみて普通なのか、異常なのかの判断もできないケースがあります。

昨今はインターネットが当たり前に普及し、自分以外の世界も簡単に知れるようになりました。

従来の型がすべて悪と言うつもりは毛頭ありませんが、時代と状況に合わせた柔軟な対応ができるようになれば理想ではないでしょうか。

この記事を書いた人

地方中核病院の勤務医です。脳神経外科専門医を取得して十年ほど経過しました。
脳卒中や頭部外傷など、脳神経外科領域の一般的診療を主に行っています。

病状説明や学生講義で、どう話したら分かってもらえるかに苦心することが多く、「むずかしいことを、むずかしい言葉で説明しない」ことを目標にして書いています。

コメント

コメントする

CAPTCHA


目次